2023年10月8日

2023年10月4日

最近、朝起きた時に左胸の決まった場所が痛む。元々疲れると胸痛が出やすいけど、毎朝となると不安になる。そろそろ病院に行った方がいいかもしれないなと思いつつ、面倒でまだ何も調べてない。

友達を家に呼んでオセロとトランプとジェンガで遊ぶ。わたしはオセロが強い。わたしと友達がやるオセロを見ながら、こういうのは性格の悪さが出るねとちいさく呟く恋人に笑う。わたしはオセロが強くて性格が悪い。

 

2023年10月5日

用意した誕生日ケーキを食べ損ねたと友達からメッセージが届く。わたしも友達も毎年のように誕生日にパートナーと揉める。「自分を大事にするさ!最小単位を自分にすれば絶対成功なのに、パートナーまでを最小単位にしてしまう罠がそこかしこにありすぎるマジで」「愛やタイミングや期待や情けや、罠すぎ」「でもそうやって役割を全うすることから生じる暴力性に甘んじたくないから、どうにかして戦いたい」次から次へと届くメッセージを読みながら泣きたくなる。

マイブーム、干しあんず。大袋を買ってそればかり食べる。食わず嫌いだった頃は崎陽軒シウマイ弁当(大好き)に入った干しあんずも無視していた。わたしは食わず嫌いが本当に多くて、たぶんそれは食べ物が自分の身体に入っていくことを全然許していないからで、でも少しずつ受け入れられるようになってきたのか、今になってこれってもしかして美味しいのかも?と気付くことがかなりの頻度である。こうしてひとつずつ世界を受容していくんだねと干しあんずを食べながら話すわたしに、そうなんだ、とどうでもよさそうに相槌を打つ恋人。この人の良いところのひとつは、わたしの極端な食生活にほとんど関心がないところだと思う。

君島大空「no public sounds」ばかり聴く。

 

2023年10月6日

退勤後、そのまま実家に向かう。常磐線の北千住と綾瀬の間を走る景色を見ると、本当にたくさんのことを思い出す。

 

2023年10月7日

売野機子「インターネット・ラヴ!」が最高だったので、実家の自分の部屋に置いてあった「MAMA」を再読。きんいろ傷。

夜、恋人から電話。大丈夫か?と聞かれる。大丈夫だよと答える。わたしが大丈夫かどうかこうして確認してくれる人がいるのなら、大丈夫じゃないけどきっと大丈夫だなと思う。

2023年10月3日

秋最高。わたしの季節だ!

 

2023年9月25日

友達の家に遊びに行く。少しずつ自分と子どもを切り分けて考えられるようになってきたと話す友達、テーブルの上に太宰治人間失格」が置いてあって面白かった。太宰治の一番好きな作品は何?と聞かれて、「ダス・ゲマイネ」かなと答える。

この人はね、何か困り事があるといつまでも黙っているの、そういう時わたしは何も言わない方がいいのかなと思ったりもしたけれど、どうやら好きにしていいみたいって10年関係を続けてわかってきたよ、だから好きにしていようね、と友達は一歳の子どもに説明していて、子どもはよくわからないけどという顔をした後、友達にぴったりくっついてわたしの目を見てニコッと笑った。

 

2023年9月27日

太宰治のお気に入りの場所だった三鷹駅前の陸橋が今年中に取り壊されるらしいと恋人に教えてもらう。実はわたしも先月「斜陽」を読み返したばかりで、もしかして太宰治再考の機運?夕食後、缶ビールを片手に陸橋を見に行く。月の光が眩しい。

君島大空「no public sounds」を聴く。

 

2023年9月28日

サイゼリヤで本を読む。夜のファミレスを愛している。

自分自身の魂を起点とする共同体をどうにか形にしたいという気持ちがずっとあるけど、何をどうすればいいのかわからない。わたしはあなたと話がしたい。

7月から続く不調についてもようやく腑に落ちた。喪に服すために、死者の近くにいるために、わたしはわたしを閉じることがある。それならわたしはわたしのままで、この心身を引き受ける必要がある。

本を読むことでだいたいわたしは助かってきた。

 

2023年9月29日

月を眺めながらビールを飲む。

 

2023年10月1日

自転車に乗って散歩する。帰り道、カフェアリエに少しだけ寄る。

 

2023年10月2日

売野機子「インターネット・ラヴ!」最高。もう一度言おう、売野機子「インターネット・ラヴ!」最高。

カルディで買ったチュモッパの素を使っておにぎりを作る。美味しくて1.5合分の米をいっぺんに食べる。昨日は胃に固形物を入れる気分になれなかったのでほっとする。わたしの食事はかなりムラがある。

ファン・ジョンウン「百の影」が今月刊行予定とのこと。楽しみ。

2023年9月22日

2023年9月16日

頭の中が散らかって苦しい。過去の体験が何度もくり返し再生されて止まってくれないのでアーとかウーとか小さく声を出してやり過ごす、と思ったらいつの間にか気絶したように寝ている。自分の心身を操縦している実感がないまま時間が過ぎていくことに焦りを感じる。

SAKANA「Blind Moon」を聴く。大好きなアルバム。少しずつだけど音楽が聴けるようになってきた。

 

2023年9月17日

oono yuuki bandの新譜が本当に楽しみ。

自転車に乗る。久しぶりにカフェアリエへ。会いたかった人に会えると嬉しい。思ったより元気そうと言われる。

 

2023年9月18日

5時に起きて仕事。帰り道に新宿の紀伊国屋書店で本を何冊か買う。人文書のコーナーに平積みされていた「われらはすでに共にある:反トランス差別ブックレット」を手に取り、そこに掲載された山中千瀬「言葉がほしい」を読んで泣く。とても疲れていたので後日ちゃんと準備をしてから買おうと決めて店を出る。こういうことはよくある。

帰宅してビールを飲みながら冷奴を食べる。今年の夏もほとんど料理をしなかった。ケアとしての料理に必要以上に警戒しているんだと思う。

 

2023年9月19日

ビールを飲むためのグラスを新しく買う。今週末は麓健一のライブを見に行く。

 

2023年9月20日

思考促迫が続く。落ち着くのを待つ。

 

2023年9月21日

平岡直子のTwitterは最高だ。以下引用。

大森さんの歌集『てのひらを燃やす』のあとがきに〈人間にできる最も美しいことと最も醜いこと、そのどちらにも手が関わる〉という一文があり、わたしはむかしも今もこの文の意味がわからない。ふしぎな確信がある文なのにあまりに理解できないことがショックでかえって頭に残りつづけていたんだけど、今日、〈手〉とは関係性の器官なのだということを考えていてはじめて腑に落ちるところがあった。わたしにとってはわたしができる〈美しいこと〉と〈醜いこと〉はどちらも他者との関係性のなかにはないので、あの文を理解できないのは当たり前だったのだと思う。他方、いま現在の大森さんがどうかはわからないけど、少なくとも『てのひらを燃やす』は相聞歌集だから、あの文が〈重要なことすべてが他者との関係性のなかにある〉という宣言なのだとしたらそれはすごく筋が通っている。宣言しつつ、そのすべてを燃やしてみせる、というスタンスの歌集であることも。

たまらず大森静佳の歌集を本棚から引っ張り出す。平岡直子の大森静佳論が読みたい。どこかでやってくれないかな。

他人の文章を読んでいると、わたし自身の状態がどうであれ、あらゆることがただ続いていくんだなと思う。

2023年9月12日

朝から洗濯と少しだけ掃除。仕事は進まない。

 

わたしのこと見ていてほしいという感情を他人に向けることについてあまり躊躇しなくなった。

 

6年ぶり2回目の北海道。新千歳空港の情報量の多さに圧倒される。こんなにすごかったっけ?何もわからなくなって、なるべく早くこの場を立ち去りたい気持ちでいっぱいで、それでもしっかりホテルで食べるロイズの生チョコだけは買う。特急に乗るために南千歳まで出たけど、時間を間違えて一時間半ほど待機。閑散としたアウトレットでぼんやり過ごす。近くの薬局でサッポロクラシックを買って飲む。わたしの行動はほとんどが支離滅裂で、今回は軌道修正する人も近くにいないため、支離滅裂なまま旅が進行していく。ひとりで困るだけだから大丈夫。

 

友達の結婚式へ。高校生の頃に知り合って、会ったり会わなかったりしながらずっと大事に思っている人。

思い返すとわたしには自分がフェミニストになるきっかけが5回くらいあって、これからも何度もフェミニズムに出会い直すと思うんだけど、ほんとのほんとの始まりはどこだろうと考えたら、たぶん彼女と出会ったことだと思う。

 

函館へ向かう。佐藤泰志の出身地。ずっと行ってみたかった場所なので嬉しい。着いた頃にはもう外が暗くなっていて、函館駅前の夜に走る市電を見て少し泣く。

映画「きみの鳥はうたえる」で僕と静雄が待ち合わせた映画館、僕と佐知子がサンドイッチを食べた喫茶店、3人が相合傘をしたコンビニにも行けた。函館駅前のともえ大橋から見た函館山と函館湾がとても良かった。一時間くらい眺めていたと思う。潮風で身体がベタベタになる。

恋人と初めて会った日を思い出す。知り合った当時、彼は恋ヶ窪のアパートで友達とルームシェアをしていて、煙草を吸いながら煙がこっちに来ないようにサッと手で払って、ビールを全然美味しくなさそうに飲んで、佐藤泰志の小説のいろんな場面を集めたような人だなと思った。どんな人が好きですか?というわたしの質問に、奥行きがある人、と彼は答えた。

函館は景色がずっと青みがかっていた。函館空港から飛行機に乗って東京に帰る。帰宅後、すごく好きな場所だったと話すと、恋人は今度は一緒に行こうと笑った。彼にもあの青が見えるだろうか。

 

坂口恭平「幸福人フー」を読む。

2023年9月3日

突然甘酒が好きになる。匂いが苦手で一口も飲めなかったけど、今ならいけるかもと予感がして買ってみたら美味しい。毎朝冷やしたものを少しだけ飲む。たまにこういうイベントが発生すると自分の中に生活を感じて何となく安心する。

 

友達に連れられてフォレストアドベンチャーへ。怖かった。ハーネス装備だから安全と案内されたけど、あまりの足場の不安定さに怯える。待って!置いていかないで!と先へ行く友達に向かって叫びながら進む。友達笑って待ってくれる。途中からどうでもよくなってきて、もう落ちてもいいか……って思ってからが面白かった。

トレイルライドもやってみた。電動マウンテンバイクかっこいい。でこぼこの山道の中でひとりどんどん加速するのが楽しくて、スピード狂の自分を垣間見る。今後もし車を運転するなら人通りが少ない道に限定しようと改めて思う。

山が好きだな。自分に身体があることを信じられる。

 

わたしが実家で読んで忘れて帰った中井久夫の本を父親が見て、もう彼女の考えていることのほとんどがわからないんだろうなと言っていたと母親から聞く。

小さい頃から父親が買ってきた本は全部読んでいた。数ヶ月話さないことがあっても机の上に本が置いてあればそれを読んだ。

父親は10年くらい前に一度身体を壊したのをきっかけにナショナリズムと自己愛でぐしゃぐしゃになってしまったが、その隙間には今も子どもであるわたしへの思いやりがあり、わたしはずっと父親へ向ける感情をどう扱えばいいのかわからない。学生の頃、数学の教科書をさっと読み通してああこれはこうすればいいんだよと教えてくれた記憶の中の父親がいつもいて、この人に何も返せない、と思う。

 

ダイ・インについて調べる。

2023年8月28日

まだ本調子じゃない。でもまあいつもこんなものかという気もする。雑穀米のおにぎりと味噌汁を作って食べる。

 

友達から子どもの写真が送られてきて可愛い。一歳おめでとう。

 

二階堂奥歯の日記を読む。二階堂奥歯シモーヌ・ヴェイユを読んでいた。

身体性を持たない、現場を知らない、そう言われました。

その通りです。

私は大きな物語が終わってから生まれました。私が暮らすのは物語終演後のステージセットの中。私に役割はありません。

私の行為が全体に寄与することはありません。私の行為が外部から位置づけられることはありません。

どんな真剣な行為もまずパロディとして知りました。私の全ての思想行動はすでに誰かがどこかでやっていたことです。

存在価値を支える外部は最初からなかったのです。そんな私の存在を支えられるのは私と、私によって支えられている私的な価値体系・物語・信仰です。

その価値体系などがどれほど大きな規模のものであっても、それは私的なものでしかありません。

私が裏付けした私的な価値体系しか私を裏付けるものがないとき、その私の生死を超えてまでやらねばならないことの存在など、可能でしょうか。

苦しみながらそれでも生き延びて成し遂げるべきことを私は持っていません。

やりたいことがないわけではない。しかしそれを位置づけてくれる文脈はありません。

私の目標の根拠は自分自身なのです。

生きていく目標もありません(生きてさえいれば目標はありますが)。

遠くにある希望とか、理想とか、それは私を離れても存在しているのですか?

それは誰が支えているのですか?

神ですか?

神は誰が支えているのですか?

それでも、小さな小さな私的な物語を楽しみ、ささやかな信仰を支えにとりあえず明日は生きるだろう、明後日も。

そのように生きています。

私が死んだら悲しむ人がいて、私がいたらうれしいという人がいる、そういった私的な支え合いの中で生きています。

生きていたらやりたいことはたくさんあります。

でも生自体を支える根拠はありません。

私は自分の髪を自分で掴んで虚空の中に落ちていかないように支えているような気がします。小さな信仰だけがそれを可能にしているのです。

二階堂奥歯「八本脚の蝶」

私的な場所から始めるということ。

恋人と喧嘩した時に一度だけ、わたしの書いた日記を読んでほしい、感想は必要ない、わたしが何を考えているのかできる範囲で構わないから把握してほしい、とノートを渡したことがある。わたしはすぐこういうことをする。

ノートを渡した人はそんなこともあったねと数ヶ月前の出来事をすっかり忘れていたけど、ノートを受け取った人はその時に読んだ文章が面白かったみたいで、もっと何か書けばいいのにとずっと思っていたと酒に酔った勢いで言われた。びっくりしたけど嬉しかった。日記をまた書き始めたのはそんな理由もあったりする。

書いてみて気付いたのは、「わたしが何を考えているのかできる範囲で構わないから把握してほしい」という気持ちは、誰よりも自分自身に向かっている。あの時のわたしの行動は少しずれていた。わたしはわたしに説明するために日記を書く、まずはそこから始めるしかないんだと思う。

 

夏が終わる。今週末は友達に誘われてフォレストアドベンチャーへ。様々なアスレチックに翻弄される自分を想像して今から笑ってる。どうなるんだ。

2023年8月25日

日記を書こうという意識が頭の片隅にあると、日々の生活で生じる選択に自覚的になる気がする。

 

三日間の夏休み、山へ行く。恋人は車の運転が上手い。運転が上手な人ってこういうことを言うんだなと毎回新鮮に驚く。この人の前では絶対に運転したくないな。方向音痴な上にすぐ意識があちこちに飛ぶのでわたしが助手席でできることは何もない、けれどもただそこにいることは得意なので勝手に楽しい。

「この人と美しいものを見ている」という実感があれば他人と一緒にいられる。本当にそれだけでいい。人によっては迷惑だろうなと思う。

 

高松美咲「スキップとローファー」9巻を読む。人と人との感情のやり取りなんてグロテスクに決まってる、というかそうであってほしい、じゃなきゃわたしのこのわかり合えなさに対する諦めから出発する切実さを正当化できないとずっと思っていた。最初からわたしはひとつも諦めてなかったって今ならわかる。

 

最近買った本。

リディア・デイヴィス「分解する」

カミーユ・エマニュエル「跳ね返りとトラウマ そばにいるあなたも無傷ではない」

田村美由紀「口述筆記する文学 書くことの代行とジェンダー

 

少しずつ回復してきた。

2023年8月16日

昨夜は気付いたら4時で慌てて寝た。8時に起きて仕事。

 

セブンイレブンのシアターミックスポップコーン恐ろしい。キャラメル味と塩味を交互に食べるのが楽しくて、一瞬で400kcalを摂取してしまった。「スキップとローファー」の美津未の今日からキャラメル&塩派宣言を思い出して、本当にそうだねと思う。追加で3袋購入。好きなものを見つけるとそればかり食べる。

 

瀬戸夏子の日記を読む。一年くらい前、あらゆることに困難を感じて何も手につかなかった時期に瀬戸夏子の文章に出会い、彼女の怒りに触れてわたしはずいぶん助けられた。今はどうだろう。怒りは大きな慰めにはならないということが少しずつわかってきた。でもこれは自分が今のところ運良く生き延びている側の人間だから言えることだ。

2022年10月11日

いらっとする文章を読んだ。思わずリアクションをしようとしてやめた。はじめて言われたことではなくもう何度も言われていることで、そのたびに反論しようか一瞬迷うが、結局しなかった。ことを続けてきたことを思い出したからだ。たとえばこれがフェミニズムの話だったら、わたしは反論していたかもしれない(しかしフェミニズムに一ミリも関係ないかといわれればそんなこともないだろうとも思うが)。

わかりやすいインセルの物言いにわたしはもうそんなに傷つかない(ここからは話題はすこしずれて変化している)。それよりも洗練されてフェミニズムを理解しているつもりの、いや理解しているとこちらがジャッジするべきかもしれない相手の、けれどここから先は絶対に変わりようがないだろう、という場所にぶつかる瞬間のほうが絶望が大きい。けれど解剖してメスを使い、相手にそれを突きつけようとまでは思わないことも増えた。そこに生の根源がある人がいることくらいはわかる、けれどそれは差別だ死んでください、まで、言っていいのかわからない。

もちろん女だからってわかり合えるっていうわけではない、ただ女の場合、むしろ理解し合えすぎてしまうときほど拒絶しなければならない、その痛みのほうが大きい。

「でも本当のことじゃないですか」、わたしはよくこういう物言いをする。「それは愛だ」というとき、「本当」よりもわたしは興奮しているが、多少上擦っているというレベルだ。しかしわたしがほとんど理性を手放しているときは「美しい!」と叫ぶ。

瀬戸夏子「二〇二二年の夏と秋」

わたしもいつだって「本当」が欲しいし、「それは愛だ」と確信したいし、「美しい!」と叫びたい。暴力的だ。

他人の日記を読むのが好きだ。

 

恋人が実家から大量の缶ビールをもらって帰ってきた。

2023年8月15日

頭痛がつらくて一日横になりながら仕事をする。

 

今夜はひとりなのでずっと天井を見つめている。家に人がいる時はなるべく天井を見つめないようにしている。

 

麓健一「3」を聴く。昨年末にCDを手に入れて3回くらい再生して、それ以降ぱたりと聴いていなかった。物怖じして。改めて聴いたら怖くなんてなくて、それは麓健一の音楽を初めて聴いた中学三年生の頃からちゃんと傷つき続けていることがわかったから。もう大丈夫だよと言えないままあの頃の自分に会いに行くことが今のわたしはできる。

 

ユリイカ」2023年9月号、ヤマシタトモコ特集。目次を確認してインタビューの聞き手が瀬戸夏子と知り、激しく動揺している。読みたい。

 

強い雨。不安。

 

Twitterを眺めていたら平岡直子の短歌が目に入り、平岡直子の短歌が好きだと思った。

腕のあるヴィーナス像があらわれてわたしのために踊らなかった

2023年8月14日

毎日書けない。

 

2023年8月9日

午後から友達の家に移動して仕事、在宅勤務が可能だとこういうこともできる。子どもの世話をする友達を眺めながら、遠いところまで来たなと思う。18時には仕事を終えて、友達が作った料理を食べながら話す。久しぶりに一対一で話したからか、彼女の輪郭がはっきり見えて、ああこういう人だったなそういえば、と確認する。彼女の過去も現在もできれば未来もまっすぐ受け取りたいけど、やっぱりわたしとふたりでいる時の彼女が一番好きだ。「違国日記」の話を少しする。

帰宅後、今から自転車で出かけようと再び外へ引っ張り出される。結構お酒飲んだからしんどいんだけど!と怒りながらも結局ついていく。わたしはわけのわからない切実さに何より弱い。深夜3時過ぎまで自転車であちこち走り回り、ぐったりして眠る。自転車走らせながらわたし何してるんだろ!?って叫んだら恋人は楽しそうに笑った。

 

2023年8月11日

実家。常磐線に乗ると川が見える。

 

2023年8月12日

実家。一日中寝る。

 

2023年8月13日

帰宅。一日中寝る。

 

2023年8月14日

精神活動の多動を過眠で調整してるんだろうな、因果関係は逆かもしれないけど。

仕事の合間に本棚の整理。本棚を整理するよりもまず物置に積まれた本をどうにかしなきゃいけないって知ってる。