2023年8月16日

昨夜は気付いたら4時で慌てて寝た。8時に起きて仕事。

 

セブンイレブンのシアターミックスポップコーン恐ろしい。キャラメル味と塩味を交互に食べるのが楽しくて、一瞬で400kcalを摂取してしまった。「スキップとローファー」の美津未の今日からキャラメル&塩派宣言を思い出して、本当にそうだねと思う。追加で3袋購入。好きなものを見つけるとそればかり食べる。

 

瀬戸夏子の日記を読む。一年くらい前、あらゆることに困難を感じて何も手につかなかった時期に瀬戸夏子の文章に出会い、彼女の怒りに触れてわたしはずいぶん助けられた。今はどうだろう。怒りは大きな慰めにはならないということが少しずつわかってきた。でもこれは自分が今のところ運良く生き延びている側の人間だから言えることだ。

2022年10月11日

いらっとする文章を読んだ。思わずリアクションをしようとしてやめた。はじめて言われたことではなくもう何度も言われていることで、そのたびに反論しようか一瞬迷うが、結局しなかった。ことを続けてきたことを思い出したからだ。たとえばこれがフェミニズムの話だったら、わたしは反論していたかもしれない(しかしフェミニズムに一ミリも関係ないかといわれればそんなこともないだろうとも思うが)。

わかりやすいインセルの物言いにわたしはもうそんなに傷つかない(ここからは話題はすこしずれて変化している)。それよりも洗練されてフェミニズムを理解しているつもりの、いや理解しているとこちらがジャッジするべきかもしれない相手の、けれどここから先は絶対に変わりようがないだろう、という場所にぶつかる瞬間のほうが絶望が大きい。けれど解剖してメスを使い、相手にそれを突きつけようとまでは思わないことも増えた。そこに生の根源がある人がいることくらいはわかる、けれどそれは差別だ死んでください、まで、言っていいのかわからない。

もちろん女だからってわかり合えるっていうわけではない、ただ女の場合、むしろ理解し合えすぎてしまうときほど拒絶しなければならない、その痛みのほうが大きい。

「でも本当のことじゃないですか」、わたしはよくこういう物言いをする。「それは愛だ」というとき、「本当」よりもわたしは興奮しているが、多少上擦っているというレベルだ。しかしわたしがほとんど理性を手放しているときは「美しい!」と叫ぶ。

瀬戸夏子「二〇二二年の夏と秋」

わたしもいつだって「本当」が欲しいし、「それは愛だ」と確信したいし、「美しい!」と叫びたい。暴力的だ。

他人の日記を読むのが好きだ。

 

恋人が実家から大量の缶ビールをもらって帰ってきた。