2024年2月22日

症状が顕著に現れるようになったのは大学生の頃だろうか。名前を付けるならたぶん会食恐怖症だと思うんだけど、対面で食事をする際に手が震えるので、ビールをジョッキで1、2杯飲んでからでないと箸や皿に触ることができなかった。だんだん自分の意思とは関係なく起こる手の震えが煩わしくなって(精神的な要因による身体症状として受け止めることが当時の自分には困難だった。いつだってわたしは好きな人たちと食事がしたかった。)、大勢の人がいる場では食事を放棄して酒を飲んでばかりいた。酔っ払ってしまえば手が震えているかどうかなんてわからない。自分の身体性を無視することでどうにかその場に繋がろうとしていた。

はっきりとそれについて話をしたことは一度もないけど、哲学科で知り合った友達もおそらくその感じがあって、でも彼女は決して自分の身体を手放さなかった。わたしの知る限りで彼女が人前で食事をすることは一切なく、水を飲むことすらも拒否していた。彼女の頑なに伏せられた目を最近よく思い出す。わたしはその目を今も美しいと思う。

哲学科の必修科目である論理学が全然できなくて、試験前はいつもその友達に付きっきりで教えてもらっていた。夜の大学、閉館前の人がほとんどいない地下の食堂。あなたは問題を自分で解決する能力がちゃんとあるのに、視野が狭くて気が短くてすぐに話の本質を要求するから上手く行かない、もう少し落ち着いて時間をかけて考えてみてと言われて、おかしいな、人生みたいだなと少し泣いたことを思い出す。彼女の前でわたしはいつも遠慮なく泣いた。もう随分長い間会えていない。

三宅唱「夜明けのすべて」を観た。

今も緊張が強くなると手が震える。でも何でだろう、手が震える度に引き起こされていた足元からガラガラと崩れ落ちていくような焦燥感はもうほとんどない。ままならなさをそのままに、自分の身体性を信じるということ。どうやらわたしはもう少し自分の身体に近付きたいと思っているらしい。

縄跳びとミット打ちの練習を始めた。夜の公園で淡々とやる。たまにジョギングもする。友達に報告したら、大丈夫なの?と若干ビビりながらも、あなたの精神とボクシングってかなり親和性高いのでは……と言ってくれてなんか良かった。