2023年8月9日

気が向いた時にiPhoneのメモに書きつける形で日記を書いてみる。続くだろうか。

 

日記を書き始める時、今回こそはと毎回思う。続く日記を美しいと思うから。でも最近は、書かなかった/書けなかったことで生じる空白も重要だという気がする。

書かなかった/書けなかったことについて考える。個人的な感情からしか書く行為を始められないことに後ろめたさを感じる。だから免罪符のように個人的な場所で書くことを選択してきた。わたしの日記を読む人間はわたししかいないのだと、そう言い聞かせることで書けることがたくさんあった。

 

精神の不調が続く。哲学科の友人たちに連絡する。ひとりは会いに来てくれて、ひとりは数時間電話で話してくれて、ひとりはメッセージのやり取りに付き合ってくれた。わたしに言葉を渡すことを躊躇せず、わたしの言葉を受け取ることを決して面倒に思わない人たち。友達をずっと尊敬している。

 

わたしは他人に対してかなり情が深く、それと同じくらい執着心も強く、わたしの感情を受け取ると壊れていく人間がいるということがだんだんわかってきた。こうした気付きはわたしを疲弊させる。

 

アンジェラ・チェン「ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと」を途中まで読む。読んでいると苦しくなって、何度も本を閉じる。読み進めるのに時間がかかる。

自分が女性であることを受け入れられない頃、確かに傷ついていたことを思い出した。思い出して、今もその傷つきが続いていることにも気付いた。異性愛中心主義からできるだけ離れるために異性関係を選択する歪さが自分にはあると自覚する。それでも、生き延びるために選択してきたひとつひとつをどうしても否定したくない。

 

恋人と喧嘩する。じゃああなたはわたしに何を求めているわけ?と聞いたら、「快適な生活」と答えが返ってきて時が止まった。時が止まったまま一日を終える。喧嘩の翌日友達に話したら、「あなたに快適な生活を求めるのは違くない?笑」って返事が来て、止まった時間が再び動き始めた。いやほんと、「違くない?笑」としか思えないな自分にも相手にも。今のところ一番近くにいる他人にわたしは何ができるのか。

 

ヤマシタトモコ「違国日記」最終巻を読む。わたしの20代とともにあった漫画。わたしが自分や自分の身近な他人の人生について考える時、いつも手元に置いていた漫画。終わるのはやっぱり寂しい。

数年前、人生のポイントにあなたがいてくれると見えてくる自分がある、助かる、と友達に言われて、それってなんだか衛星みたいだなと思ったことがある。嬉しかった。

最終巻冒頭の会話を読んでそのことを思い出して、わたしが目の前の人間に対してやりたいことってそれだけかもと思って泣いた。

 

何だこいつと思われながらも、「あなたのことを大事に思っています」とその時々のやり方で伝え続けることがわたしの意地なんだと思う、巻き込まれた人には申し訳ないけど。わたしの人生に入ってきたからには巻き込まれてください。

 

長崎。

 

向坂くじら「夫婦間における愛の適温」が素晴らしかった。もう一度最初から読む。