「d」と「何も言う必要がない」

ファン・ジョンウン「ディディの傘」を読んだ。

わたしは2018年1月に発売された短編集「誰でもない」を読んでからずっとファン・ジョンウンの小説の読者だ。

2018年4月、「誰でもない」刊行記念の作家来日イベントに参加して、ファン・ジョンウン本人に会うことができた。ファン・ジョンウンは自分の書く小説について、「ここにはたくさんの会話があるけれど、わたしはそれを沈黙と感じる」と話した。

2020年、「ディディの傘」が5.18文学賞を受賞した。その報せを耳にして思い出したのは、2019年12月、斎藤真理子の韓国現代文学入門講座で聞いた韓国における5.18文学賞の社会的意義についての話だった。

あるとき大学時代の先輩に言われた「韓国の運動は徹頭徹尾弔い合戦だよ」という言葉が忘れられない、と斎藤真理子は話した。

もうここにはいない人たちに対して言葉は何ができるか。

例えばddの茶色い靴。それと同じ靴は世の中になかった。ddの足の形に伸びて、ddの歩き方の癖の通りにそこがすり減り、くり返し踏まれてしわになっていたから。それを箱に入れながらdは考えた。これはこの箱に入れたのだから、あの箱には入れられないよな。同時に存在することはありえないのだから、ものは……この箱にあるのと同時にあの箱にあるということはない。もうここにしまったのだから、あそこにはない。ここにあればあそこにはないんだよな。ものはそうだが、靴をはいていた人は……人間はものとは違うから、ここにもいて、あそこにもいることができるんだと……僕はいつか、そんな話をどこかで読んだか、少なくとも聞いたことがある……誰かがいなくなっても、その人を記憶する人間がいるなら、その人はここにいなくてもここにいる……いるのと同じだ、と言ってたかな?人をたぶらかさないでくれ……人間はあまりにも、ものと同じで……なければない。

心はどこにあるか。

人間の心はあごにあると、dは思った。なぜなら、あごが痛かったから。

dは一日じゅう口を閉じており、ときどき血の味を感じて口を開けたが、どんなに舌で探っても出血はなく、ただそのたびに、それまで自分がどんなに口を、あごを、固く食いしばっていたかを知った。特に夜、口をぎゅっと閉じ、目を開けたままで暗闇の中にいると肉体は稀薄になり、まるで物体のようにあごが残っていると、そんな気がするときがあったが、そんなときには見えるものも聞こえるものも懐かしいものも触れるものも悲しいものもなく、ひたすら、あごだ、今は、あごだ、これだけがあるのだと思うようになった。だから最終的に心はあごにある。心はいつも決定的で、最終的だから。最終的にあごが残ったのなら、心は、ここに。

僕は自分の幻滅から脱出して、向かうべき場所もない。

パク・チョベはすぐにでも世界が滅びそうなことを言っていたが、dには疑わしかった。滅びるだと?

滅びるものか。

ずっと続くのだ。もはや美しくもなく正直でもない、生が。そこには滅びさえもない……ただ赤裸々なままに、続いていくのみ。

わからないとdは答えようとしたが、言葉が出てこなかった。言葉を言おうとすると口に力が入り、あごが開かなかった。たぶん笑顔になっているのだろうと、dは思った。耳がかちかちになって後ろへ反り返り、口が引っ張られてあごがこわばり、目も細くなる。これが笑いか?dは思った。今の、僕の顔の状態、このくしゃくしゃに歪んだ顔、これが笑いか?

彼らとdには同じところがほとんどなかった。他の場所、他の人生、他の死を経験した人たち。彼らは愛する者を失い、僕も恋人をなくした。彼らが戦っているということをdは考えた。あの人たちは何に抗っているのだ。取るに足りなさに

取るに足りなさに。 

それぞれが散らばっていて断片的で思うように引っ張り出せない、都合良く自分の文脈として持っていることができない。目の前にいる相手は他者だという圧倒的な事実に打ちのめされる。読んでいくうちにああわたしはこの人の話を聞かなきゃいけないんだなとわかってくる。無関係ではいられなくなる。でも、話す側も聞く側もどこへ行けばいいのかわからないから、お互いずーっと静かに困っている。それでも話すし、聞く。それしかできないから。

こういうやり方でいいのか、と思う。こんなやり方どうしたらできるんだろう、とも思う。わたしもわたしの混乱を言葉にしていい気がする。

もうここにはいない人たちに対して言葉は何ができるか。

わからない。わからないまま考え続けるしかない。

ソ・スギョンは私の頭に手を載せて、あんまり悔しがらないでと言ったけど、でも私は悔しいんだよ、ほんとに悔しくて、そんなことを言う人たちを一人一人訪ねていってこう言ってやりたいんだ、ある人の言う常識は、その人が考えている面よりも、考えてない面を表すことの方が多く、その人が考えていないことはその人がどういう人間であるかをかなり赤裸々に示すもので、あなたはさっきあまりにも赤裸々だったよと言ってやりたいんだよ。そうだよ、赤裸々。 

何も言う必要がない世界とは、私にとってはどう考えても死なのだが、

ファン・ジョンウンは応答を待っている。

わたしは何を言うのか。