毎年この時期は心がざわつく。言うべきことがあるはずなのに口籠ってばかりでいる。それでも自分のためにこの書けなさも書いておかないといけないんだろうな。
友達が三年日記のノートを買って毎日書き続けてもうすぐ二年が経つらしい。尊敬する。
2024年8月7日
深刻になりすぎないことってわたしにとってはあまり重要じゃないかもしれない。深刻に怒って深刻に祈る。
お昼に辛ラーメンを食べる。胃腸が回復したら辛ラーメンが食べたいどうしても食べたいと思っていたので嬉しい。食後に胃の痛みを感じるけど無視する。
2024年8月8日
長崎のことを考えている。連帯という言葉を身近に感じたことってこれまで一度もない。もっと言えば嫌悪感さえある。わたしは個人的に、ひとりで、他者として長崎について考えているし、その必要があると思う。
今月末に発売予定の斎藤真理子『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』の序文が公開されていたので読む。あちこちに散らかっていた感情が少しだけまとまる。
「書きながら考える」を続けている人だなと思う。自分の身体の範囲を把握しながら世界を見ている。飛ぶことも落ちることもなく着地したまま、自分の身体は今ここにあるという強い認識の中で文章を書いている。斎藤真理子の文章に出会った最初の頃はそれを諦念と捉えていたけど、今は少し違う感触がある。もっと確かで強くて、続いていくものだ。わたしも自分の身体を今ここに引き寄せて、ちいさなことから書いていくしかない。
2024年8月9日
心細くてハン・ガン『別れを告げない』をぱらぱらと読む。「大丈夫、私に火がある」。
長崎平和宣言を視聴する。またすぐ長崎行きたい。落ち着いたら祖母に電話しよう。