その時に手に取った本を日記に記録しておくと数年後役に立つと改めて思ったので、できるだけ書く。以下、6月末から7月前半にかけて読んだり読まなかったりした本。再読の本もいくつか。
トニ・モリスン『ビラヴド』
宮地尚子『トラウマの医療人類学』
上間陽子/信田さよ子『言葉を失ったあとで』
横道誠『アダルトチルドレンの教科書』
ジェニーナ・フィッシャー『トラウマによる解離からの回復 断片化された「わたしたち」を癒す』
ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記憶する』
藤高和輝『バトラー入門』
部屋のあちこちに積まれた本を見て、わたしは本当に諦めが悪い……と、このぐったりする感じ。いつの間にかわたしにとって本を読むことは逃げ場所ではなくなっていた。いつからこんな感じなんだろう。やっぱり韓国現代文学を読み始めた2017年がきっかけかな。いや、もう少し前からだった気もする。哲学科で過ごした4年間、18歳の頃に石牟礼道子を知ったこと、3年次に受けた土曜2限の精神病理の授業、書店アルバイトで人文書の棚の補充作業をひたすらやったこと、すべてが今の自分に繋がっているということを最近は考える。もうずっと大丈夫じゃない、血は流れ続けている、でも死なない方向に舵を切ったなら、わたしはわたしの暴力性を見つめながら生き延びる選択をその都度やっていく。
私自身のトラウマの概念はまだ揺れつづけている。したがって、あらかじめ明快なトラウマの定義をここで提出できるとは思わない。ただ、わたしが議論の出発点としてとても重視したい一つは、「トラウマは本来言葉にならない」ということである。トラウマはトラウマであるかぎり、言葉にはならない。そのぶん、身体症状や行動として制御できないかたちであらわれてくる。もしくは断片的な叫び声やうめき声としてあらわれてくる。そして、言語化されるとすれば、それはうめき声の断片が結晶となった詩のようなもの、そうでないとしたら、トラウマの周りを延々となぞりつづける一見退屈な散文にしかならないのではないかと思う。
言葉が到達しえないトラウマの重みと、その伝達不可能性に耐えかねて、ホロコーストの生き残りであるプリーモ・レヴィやパウル・ツェランは自らの命を絶ったのだろうか?それとも稀有な才能によって伝達不可能なものを伝えることができたときに、そのおぞましさにおののき、同時に生き延びるという自らに与えられた使命を果たしたと感じたのだろうか?
「あかるい石たち」というツェランの詩がある。一見、希望の見える風景の中ではあるが、そこには、亡くなった人とふたたびつながりあいたいという必死の思いと、その人の不在の中で生き延びざるをえない魂のうめき声があふれている。
宮地尚子『トラウマの医療人類学』
宮地尚子の本を読み直す。環状島モデルを初めて知った時の衝撃と、これをもとにわたしは自分自身を組み立てていけるという予感は今も続いている。
爆心地。立ち入り禁止の場所。見えない場所。語れない場所。拒絶の場所。できることはその周りをなぞるように歩くことだけだ。
語りを聴くのではない。声を感じるのだ。声を発する身体を、声にならない響きを生み出しつづける身体を、私たちの身体でもって感じるのだ。疑似体験でさえ耐えきれないであろう私たちのこの恵まれた健康な身体で。
トラウマ関連の本を読むとジュディス・L・ハーマンの名前が頻出する。本棚にちゃんとある。読めてないだけ。
ずっと混乱している。 いくつもの分岐点を経て今の自分はここにいるけど、もしひとつでも違う選択をしていたら?まったく了解できない人たちのまったく了解できない行いを見て、「あそこにわたしもいたかもしれない」「あの人はわたしだったかもしれない」と毎日思う。